自由が丘のSLお爺ちゃんこと、高屋宜哲さんが動脈瘤が破裂して先月26日に亡くなられた。
まだ70代、手術をすると高い確率で寝たきりになるからと、爆弾を抱えて居る感じだけれど、ギリギリ迄今迄と変らずやりたい事をやって生きるのだと仰っていたから、こんな日が遠からず来るだろうとは思って居たが、早過ぎる。
先月の第二は、欠席の届けが有ったけれど、第四は無かったので、入院でもされて居なければ良いなと思っていた矢先。
今日の講座の時間に、奥様が私が貸してあった絵の具を返しにみえて、訃報を聞く事になった。
5月に、ここへ来るだけでも結構疲れます!と、ストック状態の杖2本で仰ったから、夏の間無理されませんようにと言ったんだった。
まだまだ絵を描くつもりで、描きかけが何枚も遺されたままだったそうだ。
真面目で休み無く通ってみえていたので、6年のお付き合いでも、正直父の死よりショックが激しい。
絵を教えて居たけど、人生の沢山の事を教えて頂き、仕事しながらの介護は無理だから施設にお入れなさいと助言して下さったのも高屋さんだ。
乗り鉄、撮り鉄が、老いては描き鉄になり、高屋さんの絵には必ずSLが描かれて居る。
始めた頃に、何かお描きになりたいものが?と聞いたら、煙が描きたいです!と答えられて??
SLの煙だった訳なのだが。
高屋さんは、私が見本を描くことは殆ど無かった生徒さん。
唯一描いたのが、あの田植えの向こうをSLが走る絵かな。
田植えの様子を描いてみないと、教えられなくて。
他は、大概前の講座の最後に、今度はこれを描きたいのだけれど、どんな順でどんな風に描き始めたら良いだろうか?のご相談があり、それを元に二週間後迄に大方描かれていらっしゃった。
それを見て、細部の修正加筆をご指導させて頂いた訳だ。
自分で課題を探して描かれるので、最初は私が指導出来るかドキドキだったが、SLは上手に描けても風景が中々と言うことで、真摯に取り組まれていた。
高屋さんの絵を見て、瞬時に直す所を判断しないとならないので、本当に勉強させて頂いて育てて頂いたと思っている。
今年は、私は別れの年だそうだ。
人だけで無くモノや長年の仕事のポジションが無くなる事もあると某占いサイトで読んだ。
3月に講座オープン当初から6年通われた83歳お婆ちゃんが体調悪くて辞められて、自由が丘講座も存続が危ぶまれるなぁ〜と思っていたが、まさか高屋さん迄亡くなられてしまうとは思っても居なかった。
生徒さんは、まだお2人いらっしゃるけれど、おひとりは月の後半しかいらっしゃらないし、もうおひとりは夏は軽井沢で2ヶ月お休み。
スタッフに相談したら、生徒さんが見えない時は私も行かなくて良いことになった。
それでも、講座を潰しますと言う話には、全くならず感謝。
担当スタッフにも高屋さんが亡くなられた事を伝えたら、やはりショックを受けられ…で2人で泣いた。
帰りの電車の中でも、いろいろ思い出したら涙が出て、本当に困った。(T_T)
父が亡くなってバタバタと半年が過ぎ、教室展が終わったら気が抜け過ぎてと言うか、喪失感が半端無くて絵筆が握れない状態だったのだが、今日又この訃報で私は暫く立ち直れそうに無い。